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『戦国BASARA』シリーズの史実・仮説・逸話ネタを解説するブログ

戦国BASARAシリーズの元ネタになった史実・逸話のまとめ

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かすがの名前は『春日』山、および『春日』山城が由来

戦後BASARAのキャラクター、かすがは、上杉謙信に仕える忍です。 歴史上には存在しない、戦後BASARAのオリジナルキャラです。



このかすがという名前は、上杉謙信の居城である春日山城、およびその城が存在した春日山が由来です。


春日山は、戦国の名将・上杉謙信公の居城、春日山城が築かれた地でもあります。
 春日山城は、もともと越後守護・上杉氏の戦時の要害として築かれたもので、関東・北陸・信濃への交通を監視する要衝に位置し、城は守護代の長尾氏が代々守っていました。
(引用内の"長尾氏"とは、上杉謙信の旧名です。 謙信はもともと"長尾景虎"という名前で上杉家に仕える身分でしたが、戦国時代に上杉氏から家跡を譲られて上杉と名乗るようになりました)



これを踏まえると、"かすが"という名前も本名ではない可能性があります。
忍者は隠密任務を行うという性質上、顔や名前が知れ渡る事を避けなければなりません。 (少なくとも現実に存在した忍者は)


もともとは別の名前を名乗る忍だったが、上杉謙信に仕える事を決めた印として、春日山から名前をとって"かすが"と名乗るようになった……。
そういう裏設定もありそうです。


なお、かすがはもともと上杉謙信に仕えていた訳ではなく、「上杉謙信を暗殺する為に送られた忍」でした。
ところが暗殺対象である上杉謙信の姿に一目惚れし、そのまま上杉家に仕える事となった……という、「お前、忍としてどうなのよ?」とツッコまざるを得ないような設定があります。



元々は謙信を暗殺すべく近づいたのだが、謙信の美しく気高い姿に一目惚れしてしまう(このことは佐助からもさんざんネタにされている)。 


かすがの上杉謙信に対する描写はこれが理由です。

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【考察(?)】3本の爪を持つ竜は庶民の守護者? 庶民の兄貴分、伊達政宗

伊達政宗は片手3本ずつ、合計6本の刀を使う我流剣術、【六爪流】の使い手です。
そして、龍の爪の数には意味があるという事をご存知でしょうか。


(引用:http://www.inside-games.jp/article/2010/06/25/42862.html

龍は古代より紋章や刻印に使われて来ましたが、それらの所有者の身分の違いによって龍の爪の数が違います。
5本爪の龍は皇帝、4本爪は貴族、3本爪の龍は庶民です。
中国の想像上の生き物である龍は日本でも十二支の中にあってお馴染みですが、龍の爪の数が違って爪の数に意味があるということを知っている人はほとんどいません。

(中略)

3本の龍は庶民


爪の数が多くなるほど高貴な身分になります。
3本爪の龍は"庶民"を表すものです。



日本の龍は3本に統一される事が多いです。
これは当時、龍という概念が中国から日本に渡った際、『(当時)身分の低い日本に皇帝や貴族の龍を使わせるのには抵抗があった』などの説があります。

日本は華夷秩序でいちばん下だから
日本には爪3本しか許されなかったそうです。


バサラの伊達政宗は3本の刀を両手に持ちます。
つまり3本爪の龍、庶民と関わりの深い龍です。


さて、バサラにおける庶民とは誰でしょう?
言うまでもなく、東北の一揆衆を率いるオリジナルキャラ、いつきです。




伊達政宗といえば、『戦国BASARA2』におけるいつきとの絡みが印象的ですね。

いつきストーリーにて、織田軍の襲来や毛利元就の進軍を受けたいつきは人間不信に陥ります。
そんないつきを救ったのが伊達政宗です。
2のストーリーでは織田軍による農村の蹂躙に抵抗する為に一揆衆を率いて立ち上がる。快楽の為に民を虐殺する明智光秀や戦の勝利の為に多くの農村を焼き払った毛利元就の所業に傷付くが、伊達政宗と片倉小十郎に力付けられついに魔王織田信長を打倒する。


伊達政宗の兄貴分としての面はもちろん、庶民に対しても気にかけ助力する姿に惚れた人も多いのではないでしょうか。



庶民という言葉には侮蔑的な意味があります。
特に一国の主に対して庶民的などという言葉を使うのは、場合にもよりますがあまり良い意味ではないでしょう。



しかし伊達政宗に限ってはこの限りではありません。
一国の大名でありながら、庶民の事を忘れず、親身になって味方する。



おそらく伊達政宗にとっては、いかなる身分であろうと、自分の領地にいる者は全て自分の弟分と考えているでしょう。



そういう意味では、伊達政宗は立派な国主であるとともに、『庶民の龍』といえます

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【秀吉並みの出世ぶり!】濃姫が自分を『マムシの娘』と言う理由【斉藤道三】

第一作『戦国BASARA』から登場している濃姫
織田信長の妻であり、自身も二丁拳銃を武器に戦場を駆けます。

そんな彼女は、自分を『マムシの娘』と称します。
濃姫のセリフには”マムシ”という単語が多く、信長も濃姫をマムシの娘と称するシーンがあります。



1.「血に塗れるは毒蛇がさだめか…あはは!」 (1000人撃破時のセリフ)


2.信長「どうした? マムシの娘はその程度か?」 
  濃姫「いいえ、濃めが必ずや!」

3.「血は争えない、私はマムシ……」

4.「これがマムシの毒…逃げられないわよ」



濃姫とマムシ……いったい何の関係があるのかと思ったプレイヤーもいらっしゃるでしょう。

これは濃姫の家族関係が由来。
濃姫は、マムシと呼ばれた戦国武将、斉藤道三の娘だからです。


マムシの異名を持つ武将、斉藤道三(※BASARAでは未登場)の娘であり、時おり自身をマムシの娘と自嘲気味に称する。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%BF%83%E5%A7%AB%28%E6%88%A6%E5%9B%BDbasara%29
もともと斉藤道三は油売りで稼いでいた油商人で、斉藤氏とは何の関係もありませんでした。
ところがコネを利用して、まずは土岐家に使えます。
その後さまざまな謀略を駆使して力を付け、美濃守護代の地位を手にします。

さらに手を回して土岐家を弱体化させ、ついに美濃を治める国主にまで上り詰めました。

この周到な知略とその後の外交手腕から、諸外国では畏怖の念を込めてマムシと称されるようになりました。

油売りで生計を立てていた流れ者の男が、30年かけてついに一国を我が物としたのである。
この頃には、そののし上がりっぷりと、内政に外交に巧みに生かされるその智謀の恐ろしさが美濃国外にも知れ渡っており、その狡猾さから「マムシ」「梟雄」と呼ばれて恐れられるようになっていた。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%81%93%E4%B8%89

一介の油売りが国主にまで登りつめるとは、かなりのサクセスストーリーです。
立身出世といえば豊臣秀吉が真っ先に思いつくでしょうが、斉藤道三もかなりの大物ということですね。




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織田信長の討ち死にセリフ「滅せぬもののあるべきか」は『敦盛』の一説

織田信長が討ち死に(撃破)される時のセリフに、「滅せぬもののあるべきか」というものぎあります。
このセリフは、『敦盛』の一節です。


敦盛とは「幸若舞(こうわかまい)」という舞の1つで、室町時代に流行った躍りの演目です。
室町時代といえば、後に戦国時代と呼ばれる時代の初期です。
信長は幸若舞の演目の中でも、この敦盛が気に入っていたらしく、よく吟じていたと伝えられています。
特に好んだのがこの節です。
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/敦盛_(幸若舞)

これは要約すると、「人間の一生は、天界と比べれば一瞬で過ぎ去る、夢や幻のようなものだ」という意味です。

何とも儚げというか、どこか達観したような響きの一節ですね。


信長は新しい物好きで革新的な発想をする性格が有名です。
もしかすると、この敦盛の一節に大きな影響を受けていたからかもしれません。


「人の一生は長く思えるが、実は短い。 ならば保守的な発想は捨て、生きている間に出来ることをやらねばならない」


こう考えたからこそ、はたから見れば破天荒とも言える突飛な行動を取ったのかもしれません。

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小早川秀秋が片倉小十郎に憧れる理由。 史実でも小十郎が大好きだった?

『戦国BASARA3』で登場した小早川秀秋
野菜たっぷりの鍋を食べてご満悦な姿が印象的な彼は、野菜作りの名人片倉小十郎に憧れています。



秀秋は戦国美食会の一員です。
作中には出てこない謎の集団ですが、そこでも小十郎の作った野菜は有名なのかもしれません。


さて、戦国BASARAの秀秋は小十郎の野菜に惚れたのですが……
実は史実の秀秋も【衆道的な意味で小十郎に惚れていたとされています。


10代の秀秋、小十郎に一目惚れ!?




美形であったといわれる片倉小十郎重長(伊達政宗に仕えた片倉小十郎景綱の子)を追い回していたとの話が残る。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E7%A7%80%E7%A7%8B
史実の秀秋が惚れたのは片倉重長です。
『小十郎』というのは片倉家の当主が代々名乗る名前であり、歴史上には何人も小十郎がいます。
ここでいう小十郎とは2代目です。

子の小十郎重綱がはじめて上洛した時はまだティーンエイジャーだったが、その凛々しさにイチコロになってしまった者がいた。これまた十代の小早川秀秋。
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x005.htm
さらに秀秋はもともと男色家だったとされています。
といっても、戦国時代において男色というのはさほど珍しいものではなかったのですけどね。

美貌の持ち主であり、男色家として知られる小早川秀秋が彼をつけまわしたとの話が残る(『片倉代々記』中『二代重長譜』にこの記述がある)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%80%89%E9%87%8D%E9%95%B7


戦国BASARAにおける”小早川秀秋は片倉小十郎に憧れている”という設定は、この逸話が由来です。
作中では非常に凛々しく勇ましい片倉小十郎。
きっと歴史上の片倉重長もカッコよかったのでしょうね。


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