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『戦国BASARA』シリーズの史実・仮説・逸話ネタを解説するブログ

戦国BASARAシリーズの元ネタになった史実・逸話のまとめ

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実はホントの鍋奉行?小早川秀秋と鍋の関係

※今回の記事は確証の得られない情報なので、噂レベルの知識として読んでください。
戦国BASARA3』で登場した小早川秀秋
気弱で争いを好まず、戦国乱世に生きるが故に感じるストレスを、食べることで発散している。
それまでの戦国BASARAには居なかった新しいタイプのキャラクターです。


そんな秀秋の大好物は、!。
鍋物が大好きであり、秀秋にキャラクター像には、これでもかというくらい鍋という要素が盛り込まれています。

  1. 登場時のセリフは「僕は一人で鍋奉行。 君はどこの鍋奉行?」
  2. 勝利時のセリフは「今日はなに鍋? 早くしてよね」
  3. 戦闘中にも関わらず、戦いを側近の天海に任せ、自分は具だくさんの鍋を頬張る。
  4. 城に攻めいられている最中でも隠れて鍋をつまみ食いする(『戦国BASARA4』)。
  5. 食べている所を邪魔すると、「鍋時間が唯一の楽しみなのに!」と激昂して襲いかかってくる。
  6. 背中には常に大きい鍋を背負っており、その鍋を攻撃やガードに使う。
  7. バサラ技は、『大きな鍋を自ら調理し、その具材がなぜか自動的に周囲の敵を攻撃する』という、どこから突っ込めばいいか分からないもの。
  8. 城内には城より制作費用が掛かるのではないかと思うほど巨大な鍋が設置されている。 (登場ステージを考えると、少なくとも外と中に1つずつ) もはや食費で国が傾くのではないか……。
  9. 劇場版 戦国BASARA』では天海のアドバイス(?)により、関ヶ原の合戦に訪れた武将達に鍋を振る舞おうとする

松永久秀は徹底して火薬を使用してますが、小早川秀秋の場合は鍋を徹底して使用します。
これは史実における小早川秀秋も、鍋と関わりの深い人物だったという噂が由来です。

【噂?】小早川秀秋は本当に鍋奉行だった

鍋料理を食べる際にあれこれ口出しする人を『鍋奉行』と呼びますが、江戸時代にはこの鍋奉行が、実際に幕府の奉行職として存在したという噂があります。
鍋奉行は江戸時代の役職の一つで、江戸城内で、徳川将軍が諸大名や公家、旗本などを鍋料理でもてなす際の饗応役として実際に存在した役職です。
http://www.iwatani-i-collect.com/event/season/guide/topics-14.html
江戸時代の初期の頃は鍋は貴重なもので、鍋奉行職まで設けられました。そして、徳川家に代々伝わる由緒ある鍋を管理させ、鍋を守ることを名目に強い権限が与えられていたそうですが、その初代鍋奉行がかの有名な小早川秀秋だったのです。
http://www.starkyforsenate.com
そしてこの鍋奉行を勤めたのが、小早川秀秋だったという噂です。
これが元ネタではないかとおもいます。

ただしこれはあくまで噂です。
調べて見ましたが、詳細な出典がどう探しても見つからず、見つかるのは確証の得られない情報ばかり。
とても断言出来るような確信が得られませんでした。

また、小早川秀秋は関ヶ原の戦いからわずか二年後の慶長7年(1602年)に死没しています。
江戸幕府が誕生したのは1603年であり、秀秋が死んだ1年後です。
「小早川秀秋が江戸幕府の奉行職に就いていた」というのは、どうにも考えられません。
秀秋が死んだ時点で江戸幕府が成立していないのですから。
ただ、鍋奉行という役職は本当にあっかもしれません。
昔は変わった職業が多く、幕府の役職もかなり多かったからです。
客分に食事を、特に鍋物を振る舞う時に、調理や盛り分けを担当する役職もあったのかもしれません。

というわけで、今回の記事は史実・逸話ネタというより、噂ネタとして受け取って貰えれば幸いです。
詳しい情報を持っている人がいたら教えてください。

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【戦国BASARA3】小早川秀秋が銃撃で裏切るシーン→家康に銃を向けられた逸話が元ネタ

戦国BASARA3宴』にて、小早川秀秋が銃を向けられて西軍を裏切るシーンがあります。

関が原の戦い 内応”では鉄砲隊を護衛し、特定のポイントまで連れて行くことで小早川秀秋を寝返らせるイベントが発生します。



また”関ヶ原の戦い 集結”のステージ開始直後、本田忠勝の砲撃で怖気づいた秀秋が東軍に寝返ります。
どちらも銃撃(砲撃)で裏切るという展開です。

これは小早川秀秋が、徳川家康に銃を向けられて東軍側に付いた事が元ネタです。


関が原の戦いで、小早川秀秋は西軍・東軍のどちらにもつかず、戦況を見守っていました。
陣を引いたものの、戦いには参加せず、東軍・西軍も秀秋がどちらに付くのか見ていました。



秀秋のこの行動に業を煮やした徳川家康は、小早川秀秋の陣に行って秀秋に銃を向け、「どちらにつくか今すぐ決めろ!」と迫りました。
ここで秀秋は家康の東軍へ。
これを機に東軍側が優勢になり、勝負が決したとされています。


戦国BASARAでの小早川秀秋は優柔不断な性格ですが、この設定も史実を反映したものです。


単にどちらか決められなかったのではなく、どちらにつけばより有利か、戦況を見ながら慎重に考えていたという説もあります。

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小早川秀秋が片倉小十郎に憧れる理由。 史実でも小十郎が大好きだった?

『戦国BASARA3』で登場した小早川秀秋
野菜たっぷりの鍋を食べてご満悦な姿が印象的な彼は、野菜作りの名人片倉小十郎に憧れています。



秀秋は戦国美食会の一員です。
作中には出てこない謎の集団ですが、そこでも小十郎の作った野菜は有名なのかもしれません。


さて、戦国BASARAの秀秋は小十郎の野菜に惚れたのですが……
実は史実の秀秋も【衆道的な意味で小十郎に惚れていたとされています。


10代の秀秋、小十郎に一目惚れ!?




美形であったといわれる片倉小十郎重長(伊達政宗に仕えた片倉小十郎景綱の子)を追い回していたとの話が残る。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B0%8F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E7%A7%80%E7%A7%8B
史実の秀秋が惚れたのは片倉重長です。
『小十郎』というのは片倉家の当主が代々名乗る名前であり、歴史上には何人も小十郎がいます。
ここでいう小十郎とは2代目です。

子の小十郎重綱がはじめて上洛した時はまだティーンエイジャーだったが、その凛々しさにイチコロになってしまった者がいた。これまた十代の小早川秀秋。
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x005.htm
さらに秀秋はもともと男色家だったとされています。
といっても、戦国時代において男色というのはさほど珍しいものではなかったのですけどね。

美貌の持ち主であり、男色家として知られる小早川秀秋が彼をつけまわしたとの話が残る(『片倉代々記』中『二代重長譜』にこの記述がある)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%80%89%E9%87%8D%E9%95%B7


戦国BASARAにおける”小早川秀秋は片倉小十郎に憧れている”という設定は、この逸話が由来です。
作中では非常に凛々しく勇ましい片倉小十郎。
きっと歴史上の片倉重長もカッコよかったのでしょうね。


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