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『戦国BASARA』シリーズの史実・仮説・逸話ネタを解説するブログ

戦国BASARAシリーズの元ネタになった史実・逸話のまとめ

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明智光秀が天海になった理由、『光秀=天海説』について

『戦国BASARA3』に登場した怪僧、天海
小早川軍の武将として新登場したのですが、その姿はどうしてもある武将を連想させるようなものでした。


外見はもちろんのこと、声・モーション・使用武器・固有技まで全てがある武将にそっくり。

その武将とは明智光秀。 かつて織田軍で名を馳せ、主君の織田信長を討ち取った織田軍武将、明智光秀にそっくりだったのです。



左:明智光秀  右:天海


『3』では「またいつか、真なる"宴"にてお会いしましょう」と意味深なセリフを残して消える謎の存在でしたが、続編である『宴』にて正体が判明。 やはり明智光秀でした。
 
光秀が天海になった経緯が描かれ、それまでの明智光秀からは考えられないような重くシリアスなストーリーが印象に残っている人も多いでしょう。



さて、『明智光秀が天海になり、小早川軍の武将として登場する』というストーリー。
一見、織田軍の武将を続投させる為に付け加えた、無理矢理な展開のように思えます。
しかし、これは実際の歴史上でも有名な仮説、『明智光秀=天海説』を元にした設定です。
光秀は小栗栖で死なずに南光坊天海になったという異説がある。天海は江戸時代初期に徳川家康の幕僚として活躍した僧で、その経歴には不明な点が多い。
(引用)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80#.E5.8D.97.E5.85.89.E5.9D.8A.E5.A4.A9.E6.B5.B7.E8.AA.AC
また、以下のページでは7つの根拠が上げられています。
壱  天海の前半生の経歴が、全く持って不明である。天海自らも、不動院入山以前の経歴は語ろうとしなかったという。

弐  比叡山には今も「慶長二十年二月十七日、奉寄進願主光秀」と刻まれた石灯篭が残っている。慶長二十年とは1615年である。光秀が亡くなったとされるのは1582年であるので、ここに矛盾が生じる。

参  1588年に家康と会ってから、10年もたたないうちに幕府の中心人物となっている。一介の僧が、どうしてこのようなことを成し得たのか。

(以下省略)
(引用)http://homepage2.nifty.com/inutomononohu/aketimituhide6.htm
落武者として逃げ延びたものの、最後は農民に殺されたとされる明智光秀。
実は本当に天海として第二の人生を歩んでいたのかもしれません。

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