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『戦国BASARA』シリーズの史実・仮説・逸話ネタを解説するブログ

戦国BASARAシリーズの元ネタになった史実・逸話のまとめ

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大谷吉継の「(三成は)私物を持っていない」発言……実際の石田三成も私物を持っていなかった!?

大谷吉続が三成の事を語った際、「私物らしい私物を見たことがない」と言っています。


「この男は驚くほど何も持っておらぬ。我でさえ、やつの私物らしい私物を見たことがない。金も名誉も部下もいらぬという。おまけに食べることにも興味が無い」
(ゲーム内の
大谷吉継セリフ)


これは実際の三成が非常に質素な生活を送っていたという逸話に由来するものと思われます。




天下人の家臣なら、さぞかし多くの金品を蓄えていそうなものです。
しかし実際の三成は全く違いました。

以下のサイトにこのような記述があります。
西軍を裏切った小早川、脇坂らの武将は、早く武勲をあげようとして佐和山城に乗り込み、内部の質素さに驚いた。
三成は約20万石の武将であるばかりでなく、秀吉に寵遇され、長く政権中枢に身を置いていたので、さぞかし城内は豪勢で、私財を貯えているだろうと東軍は思っていた。
ところが、壁は板張りで上塗りされずむき出しのまま、庭には風情のある植木もなく、手水鉢は粗末な石。

ある東軍の軍医は記す「佐和山城には金銀が少しもない。三成はそれらを貯えてはいなかった」。(引用)http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic30.html

財宝はおろか、城の内装も質素だったそうです。
自分の居城なら少しくらい飾り付けたくなるのが人間というもの。
しかし三成はそのような事を全くしませんでした

三成は、「主君より授かった物は残さずすぐに使いきるべきだ。残したら盗人、遣い過ぎて困窮するようなら愚人だ」と言っていたと伝えられています。

この考えにより財宝や金を持たず、結果的に佐和山城も質素な内装になっていったのでしょう。

ゲーム内の三成は家康に対する復讐心が大きすぎる余り、他の欲が極端に少ないような描写がされていました。
実際の三成もかなり物欲の少ない人物だったのかもしれませんね。

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