『戦国BASARA』シリーズの史実・仮説・逸話ネタを解説するブログ
戦国BASARAシリーズの元ネタになった史実・逸話のまとめ
カテゴリー「石田三成」の記事一覧
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- 2016.05.01 【戦国BASARA4】石田三成が刀をゆっくりと鞘に収める⇒居合い道における『残心』
- 2015.11.13 石田三成は本当に人望が無かった?
- 2015.10.12 大谷吉継の「(三成は)私物を持っていない」発言……実際の石田三成も私物を持っていなかった!?
【戦国BASARA4】石田三成が刀をゆっくりと鞘に収める⇒居合い道における『残心』
- 2016/05/01 (Sun) |
- 石田三成 |
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戦国BASARA4における、石田三成の勝利シーンにて。
刀を大きく振った後、腕を独特にクロスさせたような体勢で納刀(のうとう。刀を鞘にしまうこと)します。
その時の動きが非常にゆっくりです。
23:24~
これは居合い道における『残心』に近い動きです。
残心(ざんしん)とは日本の武術や芸の道で使われる言葉です。
意味は「油断のない様、心が途切れさせない事」です。
攻撃を出し終わったら、安心して気を抜いて刀をしまう……なんて事は武道家にあるまじき姿です。
たとえ攻撃や戦いが終わったあとも油断してはいけません。
刀を鞘に納める時も油断せず、いつでも迎撃できるように注意を払わなければなりません。
残心はそうした武道家としての姿勢を表す概念です。
そして、戦国BASARAの石田三成は居合いを中心とした高速剣術の使い手です。
居合い術にも残心はあり、攻撃を出し終わった後にはゆっくりと納刀するという特徴があります。
石田三成の特徴的な納刀は、この残心を再現しているものと思われます。
最後に、有名な居合いの動画を載せます。
黒田鉄山の抜刀と演舞です
残心の動きはもちろん、突然現れたように錯覚するほどの早い抜刀はまさに神業です。
刀を大きく振った後、腕を独特にクロスさせたような体勢で納刀(のうとう。刀を鞘にしまうこと)します。
その時の動きが非常にゆっくりです。
23:24~
これは居合い道における『残心』に近い動きです。
残心(ざんしん)とは日本の武術や芸の道で使われる言葉です。
意味は「油断のない様、心が途切れさせない事」です。
意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。(https://ja.wikipedia.org/wiki/残心)
攻撃を出し終わったら、安心して気を抜いて刀をしまう……なんて事は武道家にあるまじき姿です。
たとえ攻撃や戦いが終わったあとも油断してはいけません。
刀を鞘に納める時も油断せず、いつでも迎撃できるように注意を払わなければなりません。
残心はそうした武道家としての姿勢を表す概念です。
そして、戦国BASARAの石田三成は居合いを中心とした高速剣術の使い手です。
居合い術にも残心はあり、攻撃を出し終わった後にはゆっくりと納刀するという特徴があります。
石田三成の特徴的な納刀は、この残心を再現しているものと思われます。
最後に、有名な居合いの動画を載せます。
黒田鉄山の抜刀と演舞です
残心の動きはもちろん、突然現れたように錯覚するほどの早い抜刀はまさに神業です。
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石田三成は本当に人望が無かった?
- 2015/11/13 (Fri) |
- 石田三成 |
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石田三成は作中で、人望が無いと言われるシーンがいくつかあります。
例えば『3』の石田三成ストーリー1週目にて。
例えば『3』の石田三成ストーリー1週目にて。
黒田官兵衛と対峙した際、官兵衛は三成を”人望が無い”と評しています。
黒田官兵衛「残念だが、お前さんに付くくらいなら、小生は家康に付くさ。 なにせ家康には人望がある。 お前さんと違ってな」
さらにこちらのサイトでも人望の無さが記述されています。
これは実在した石田三成も人望に欠ける人物だった事が由来です。
真面目すぎるがゆえに融通が利かない一面があったといいます。
人心を掴む為には多少の嘘や融通が必要ですが、三成はそれが苦手だったようです。
決して人柄が悪かったという訳ではないでしょう。
さらにこちらのサイトでも人望の無さが記述されています。
非常に攻撃的かつ感情のままに行動するため、人望はかなり薄い。 しかしそれは良くも悪くもただ純粋、とも取れる。
(引用)http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90%28%E6%88%A6%E5%9B%BDbasara%29
これは実在した石田三成も人望に欠ける人物だった事が由来です。
官僚の性に加えて彼自身が狷介な性格であったことから、福島正則や加藤清正などの武断派からは嫌われていた。
後述の逸話にもあるように不器用で配慮に欠ける言動をしてしまうこともあったらしく、優れた行政能力を持ちながらもつくづく人望には恵まれなかった。
親友と言っても過言ではないほど親しかった大谷吉継にすら、 「お前には人望がなく禄高も家康に大きく劣るのだから、家康を打倒するなら他の人を上に立てろ」と助言されたほどである。
(引用)http://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/11028.html
真面目すぎるがゆえに融通が利かない一面があったといいます。
人心を掴む為には多少の嘘や融通が必要ですが、三成はそれが苦手だったようです。
決して人柄が悪かったという訳ではないでしょう。
大谷吉継の「(三成は)私物を持っていない」発言……実際の石田三成も私物を持っていなかった!?
- 2015/10/12 (Mon) |
- 石田三成 |
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大谷吉続が三成の事を語った際、「私物らしい私物を見たことがない」と言っています。
「この男は驚くほど何も持っておらぬ。我でさえ、やつの私物らしい私物を見たことがない。金も名誉も部下もいらぬという。おまけに食べることにも興味が無い」
(ゲーム内の大谷吉継のセリフ)
これは実際の三成が非常に質素な生活を送っていたという逸話に由来するものと思われます。
天下人の家臣なら、 さぞかし多くの金品を蓄えていそうなものです。
しかし実際の三成は全く違いました。
以下のサイトにこのような記述があります。
自分の居城なら少しくらい飾り付けたくなるのが人間というもの。
しかし三成はそのような事を全くしませんでした。
三成は、「主君より授かった物は残さずすぐに使いきるべきだ。 残したら盗人、遣い過ぎて困窮するようなら愚人だ」 と言っていたと伝えられています。
この考えにより財宝や金を持たず、 結果的に佐和山城も質素な内装になっていったのでしょう。
ゲーム内の三成は家康に対する復讐心が大きすぎる余り、 他の欲が極端に少ないような描写がされていました。
実際の三成もかなり物欲の少ない人物だったのかもしれませんね。
「この男は驚くほど何も持っておらぬ。我でさえ、やつの私物らしい私物を見たことがない。金も名誉も部下もいらぬという。おまけに食べることにも興味が無い」
(ゲーム内の大谷吉継のセリフ)
これは実際の三成が非常に質素な生活を送っていたという逸話に由来するものと思われます。
天下人の家臣なら、
しかし実際の三成は全く違いました。
以下のサイトにこのような記述があります。
西軍を裏切った小早川、脇坂らの武将は、早く武勲をあげようとして佐和山城に乗り込み、内部の質素さに驚いた。
三成は約20万石の武将であるばかりでなく、秀吉に寵遇され、長く政権中枢に身を置いていたので、さぞかし城内は豪勢で、私財を貯えているだろうと東軍は思っていた。財宝はおろか、城の内装も質素だったそうです。
ところが、壁は板張りで上塗りされずむき出しのまま、庭には風情のある植木もなく、手水鉢は粗末な石。
ある東軍の軍医は記す「佐和山城には金銀が少しもない。三成はそれらを貯えてはいなかった」。(引用)http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic30.html
自分の居城なら少しくらい飾り付けたくなるのが人間というもの。
しかし三成はそのような事を全くしませんでした。
三成は、「主君より授かった物は残さずすぐに使いきるべきだ。
この考えにより財宝や金を持たず、
ゲーム内の三成は家康に対する復讐心が大きすぎる余り、
実際の三成もかなり物欲の少ない人物だったのかもしれませんね。
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